イスラエルといえばレヴィボ。セルタ全盛期に活躍したMF。当時のセルタは凄かったなあ。皇帝モストボイにパワフルなペネフ。右にカルピン、左にレヴィボ。まあグスタボ・ロペスの方がよく出ていたとは思うけど…。ダブルボランチにマジーニョとマケレレ。マケレレが有名だけど、マジーニョはグアルディオラより正確無比なロングキックを見せていたように思う。バックは右にサルガド、左にファンフラン、センターバックはカセレスとあと一人誰だったかな…。キーパーはデュトリエルで、かなり強く魅力的なサッカーをしたチームでした。監督はヴィクトル・フェルナンデスだったと思う。初めて見た時は衝撃を受けたチームで、すっかりセルタの虜になってしまったものです。
まあ、ほとんどイスラエル関係ないけどね。
○エルサレム
エルサレムにはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教の聖地であり、三つの宗教の人々が住んでいる。
紀元前11世紀、エルサレムはイスラエル王国の首都となった。
紀元前6世紀、ユダヤ教成立。
紀元前2世紀頃から、エルサレムはユダヤ教の聖地となった。
しかし2世紀にはローマ帝国によりユダヤ人はこの地を追放され、離散の民となった。
キリスト教にとってのエルサレムは、キリストが地上での最後の日々を過ごし、十字架にかけられた場所。
聖墳墓教会にはキリストの墓があると言われ、2世紀以降巡礼者が多くなった。
7世紀、イスラム教の地となったエルサレムは、ムハンマドが天国の旅に出た地とされ、メッカ、メディナに次ぐ第三の巡礼地となった。
11世紀、キリスト教の十字軍の手にわたる。
13世紀、イスラム世界の支配下に入る。
16世紀、この地を支配したオスマントルコは、エルサレムを三宗教に開いた。
このように、エルサレムは歴史と宗教の複雑な絡み合いをみせる美しい都市である。
○気候,農業
イスラエルの国土は不毛遅滞が多く,地中海性気候の北部海岸などが農耕地帯となり,南部は雨の少ないステップ気候。
現在の農業地帯では科学調査に基づいて開墾や灌漑がなされ,さらに先端技術を導入することで耕地面積増加,多くの農作物を収穫できるようになっている。
死海は水面が海面下400mなので,周囲から流入する河川はあっても,この湖から流出河川は無い。
= 水の蒸発量が多く,塩分が高くなる要因となり,水につかると体が浮くのはこうした理由。
死海からは塩や臭素などが生産される。
○イスラエル建国とアラブとの戦い
1897年 シオニズム運動。欧米のユダヤ人の援助を受けてユダヤ人の祖国復興の動きが強まる
1948年 パレスチナの地にイスラエルを建国
イスラエルのユダヤ人は人口の4分の3である。
一方,アラブ人は人口の2割ほどを占めており,イスラエルの公用語はヘブライ語とアラビア語。
1917年からイギリスがパレスチナの地を支配および委任統治していた。
しかし第一次世界大戦中に,イギリスはパレスチナにユダヤ人国家の成立を認める代わりに欧米のユダヤ人から援助を受けておきながら,アラブ人に対しては対トルコ反乱を鎮圧させる代償として,アラブ人によるパレスチナの独立を約束。
これがユダヤ人とアラブ人の戦いに火をつけることになった。
1993年,イスラエルのラビン首相とPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長との間で和平成立。
1994年,ガザ地区と西岸地区でのパレスチナ人の自治が開始された。
こうして一時は安定したが,ガザ地区をめぐってイスラム原理主義ハマスとイスラエルの戦闘が続いている。
イスラエルの国家財政における軍備の割合は大きい。
ダイヤモンドの原石を輸入し,加工したダイヤを輸出することなどで外貨を得ているが,外国に住むユダヤ人の収入や,ユダヤ人が多く住み,財政などの実験を握っているアメリカの援助が大きい。